1980年頃からTRONプロジェクトの構想を作りはじめ、仲間作りをはじめた。コンピュータの主流の人々の頭の中には「IBM互換機」しかない。興味を示してくれたのは、当時やっと立ち上がろうとしていたマイコンをやっていた半導体部門の研究者、開発者たちであった。
電子関係のメーカで構成する業界団体、日本電子工業振興協会(現電子情報技術産業協会)の中に研究会を作りNECや松下電器(現パナソニック)、日立、東芝、富士通、三菱電機、沖電気など電機メーカの若手研究、開発者と日本のマイコン開発をどう進めるかの議論を始めた。
奇しくもスパイ事件と同年の1982年に正式な委員会に。ポイントは、マイコンは将来、世界の産業にとって必要不可欠のものになる。そのイニシアチブを取るためにも、一からの開発を。あらゆる産業機械の中に入っていくので、まずは組込み用途が重要。そのうちいまのコンピュータもすべてマイコンベースになるだろう。そして戦略としてこれからはソフトウェアが重要になるので、まず基盤となるリアルタイムOSを含む開発環境整備から進め、その後、そのOSが最も効率よく動くチップを作ろうというものであった。
メンバーは皆熱心であったが、NECの門田浩氏のグループは特に熱心で、当時東大理学部情報科学科にいた私と共同研究を進め、私がデザインしたリアルタイムOS――これを「Industrial TRON: ITRON(アイトロン)」と呼んだが――のNECマイコンへの移植を始めた。桑田薫さんという女性プログラマらが大活躍。
当時NECはマイコンに最も熱心な会社で1979年からPC-8001、1982年にはPC-9801というパソコンも出していた。こういう動きに刺激され日立、富士通、東芝、沖などもITRONという機器制御用のリアルタイムOSを自社のマイコンに載せ始めた。
ITRONのデザインコンセプトである、シンプル――わかりやすさは産業機器設計者に受け、多くのメーカで採用が決まっていく。オープン――つまり技術情報を全て出すという点や、フリー――つまりロイヤリティをとらないという戦略が良かったということは言うまでもない。
ITRONは、初めリアルタイム動作かつ小さなマイコンでも動くという点が評価され、携帯電話やリアルタイム性が必要とされる産業機械――例えば半導体製造装置の制御等に使われた。その後、デジタルカメラや電子楽器、プリンタ、宇宙機、エンジン制御など、広く組込みコンピュータとして使われるようになっていく。